祭神は崇徳天皇、淳仁天皇で慶応4年(1868)に明治天皇が讃岐の白峰から崇徳天皇の神霊を、後に淡路の天王森から淳仁天王の神霊を、皇室鎮護の神として現在の地に移して創建されました。
この地には蹴鞠・和歌で有名な飛鳥井家の邸宅があり、末社の地主社に蹴鞠道の神である精大明神を祀っています。
他の末社に伴緒社(とものおやしろ)があり、源為義(ためよし)・為朝(ためとも)を祭神としています。
崇徳天皇は、鳥羽天皇の皇子として誕生し、幼い時より和歌・管絃の道に秀でていて、数多くの名歌を詠 みましたが、小倉百人一首の「瀬をはやみ岩にせかるる滝川のわれても末に逢はむとぞ思ふ」は有名です。
代天皇に即位しましたがすぐに、三歳の近衛天皇に譲位。その後、同母弟の後白河天皇に帝位を奪われたことに立腹、(1156)保元の乱を起こし、讃岐国白峰に流されました。
長寛2年(1164)8月、45歳で亡くなり、その地の白峯山陵に葬られ「御霊」となって自分を陥れた人々を75苦しめたそうです。
都への還幸を望みつつ非運の生涯で「保元物語」や能の「松山天狗」などに無念の様子が表されています。
神宮所蔵の崇徳上皇の肖像画は国の重要文化財です。
また、淳仁天皇は『日本書紀』編纂の舎人親王の王子として誕生し、47代の天皇に即位しました。
藤原仲麻呂(恵美押勝)に官制改革、租税軽減、通貨鋳造、窮民救済等の制度を布かせました。
しかし、弓削道鏡らの謀計により藤原仲麻呂の乱を契機に廃位となり淡路島に流され、同島で亡くなっています。
その後、和気清麿により道鏡は討たれますが、和気清麻呂は道鏡を討つため宇佐八幡の神託を得ての帰りに、御陵を参拝して報告したと言い伝えられています。
このように、歴史上悲運のうちに亡くなった天皇をお祀りされている神社ですが、こちらの地主社に祭祀されている精大明神は「鞠」の神様で「球技の神様」として、サッカー選手などが参拝しています。
4月14日の春季例大祭淳仁天皇祭では、「蹴鞠」の儀式が執り行わます。
住所
京都市上京区今出川通り堀川東入る飛鳥井町261番地
電話番号
075-441-3801