徳川家康が征夷大将軍の宣下を受けるに際して、居城として築いたもので、慶長7年(1602)京都所司代板倉勝重が総奉行になり、大工頭の中井正清が作業を指揮して築かれました。
その後伏見城の遺構を移すなどして、3代将軍徳川家光が寛永3年(1626)に今のかたちに完成したものです。
大阪冬の陣、夏の陣では軍議の舞台として、また元和6年(1620)徳川秀忠の娘和子(東福門院)が後水尾天皇の女御として入内する際には、二条城から儀典が行われました。
そして、最後の将軍15代目徳川慶喜が大政奉還を行ったことでも知られています。
国宝の二の丸御殿は、安土桃山時代の「武家風書院造」の代表的なもので、南に唐門を配し内側に車寄せが在り、遠侍、式台、大広間、蘇鉄の間、黒書院、白書院の6つの広間が並び、室内には重要文化財に指定されている狩野探幽・尚信・興似による襖絵や障子画が描かれ、欄間の繊細な彫刻やきらびやかな装飾が絢爛豪華です。
また 築山林泉式の二の丸庭園は小堀遠州の作庭で、池内の2つの島と4本の橋それに周囲に配置された石のバランスがとても美しい回遊式庭園、国の特別名勝です。
二の丸御殿の入り口である唐門は、伏見城にあったものを移してきたと言われており、全体は「唐破風(からはふ)造」で、随所に彫刻を用いた当時の建築技術を 尽くした物です。
築城当初は現在の二の丸御殿の西北部に望楼型の5層の天守閣がありましたが、 寛永3年(1626)後水尾天皇が二条城に行幸する際、城域が西側に広がり、天守閣は淀城に移築されました。
そして、現在の本丸の西南部に層塔型5層の天守閣が新造されましたが、寛延3年(1750)には落雷によってその天守閣は燃亡し、以後再建されることはなく現在は天守閣の石垣のみが残っています。
東と北の大手門や東南・西南の隅櫓(すみやぐら)、本丸櫓門や本丸御殿など、重要文化財に指定されている建築物も多く、二条城は世界遺産(文化遺産)として登録されています。
住所
京都市中京区二条通堀川西入二条城町
電話番号
075-841-0096