冨田屋 紹介ムービー
冨田屋の間取り図
冨田屋の歴史
初代、冨田屋籐兵衛が江戸中期に
京都の伏見で両替商を始めたことから
冨田屋の歴史が始まった。
商売は大いに繁盛し大豪商となった。
また、初代は茶道や能楽にも精通し
金剛流のパトロンであったと言われ
自宅には能舞台も備わっていたという。
慶応四年(一八六八年)に
「鳥羽伏見の戦い」で建物は全焼し
西陣に出てくる。
平安遷都の時代より
京の中心であった大宮一条の一帯には
連綿と続く歴史が満ちあふれている。
その西陣で商売を始めた。
千両の絹が動いたと言われる
「千両ヶ辻」で
絹を積み、荷車を引き
明治十八年、呉服問屋として
この西陣の真ん中に
現在の「冨田屋」本社を建てる。
西陣の商家特有の様式を残した京町家で
能座敷も有している。
町家に連結したお茶室は
武者小路千家九代目家元宗守氏の
監修による建物で
「楽寿」の名をいただく。
築後百二十年を超える本社は
西陣伝来の風習や
しきたりが今も脈々と残されており
古いものも大切に保管されている
ことにより
平成十一年八月
国の登録有形文化財に指定された。
このしきたりを永く守り
呉服の原点である西陣を
多くの方に理解していただき
着物文化を広めて行きたいという
当主の願いが冨田屋を支えた。
冨田屋籐兵衛十三代
田中峰子、
紆余曲折ありながら
今なお伝統を守り続けている。
伏見の地で両替商を始めた初代冨田屋籐兵衛は
安永9年(1781)2月に永眠した
戒名は冨田院江山浄盛居士
鳥羽伏見の戦い跡に建てられている石碑(伏見区)
1885年(明治18年)、西陣・冨田屋は店舗および住居として十代冨田屋籐兵衛によって建てられた
十代
冨田屋
田中籐兵衛
改め「全」
西陣に産地問屋を築く
昭和27年9月永眠
高冨院寿山全寶居士
1935年(昭和10年)、奥座敷・茶室を増築。
茶室「楽寿」は、武者小路千家官休庵 九代家元 千宗守氏の命名によるもの
十一代
冨田屋 田中籐兵衛
改め「籐陽」
十歳のとき祇園祭の稚児となる
昭和46年12月永眠
75歳
高福院宝山籐陽居士
昭和初期、店舗の風景。
十二代
冨田屋 田中籐兵衛
ロータリークラブ会長
なども務め
国際貢献をする
昭和62年3月永眠
高陽院臺山敏慧居士
文化財指定
1999年 | 国登録有形文化財指定 |
---|---|
2007年 | 京都市景観重要建造物に指定 |
西陣の歴史と暮らしをいまに伝えて
室町のころより織物のまちとして栄えてきた西陣。
中心をなす今出川大宮は古く「千両ヶ辻」と呼ばれ、1日に千両に値する生糸が動いたといわれるほどにぎわいました。
その由緒ある大宮通一条に、約百二十年前に建てられた田中屋(屋号・冨田屋)は、京町家の中でも西陣の商屋特有の様式を数多く残しております。
明治の香りを伝える商屋
江戸中期から近世末まで伏見で九代両替商を営んでいた冨田屋が、西陣織の産地問屋としてこの地に移ったのは明治十八年ごろのこと。
通りに面した母屋と表蔵は典型的な表屋造りの特徴をもち、明治期の大店の姿をいまに伝えています。
昭和十年に増築された離れは、座敷と応接間、茶室の三棟で構成され、特に茶室は武者小路千家官休庵九代家元・千宗守氏により「楽寿」の名を頂戴しています。
町家の活用で文化の継承を
私どもでは、代々受け継いだこの家を、京都の歴史や文化を伝える建物として保存するとともに、歴代の主人が集めました伝統ある道具・調度類なども展示し、これまで会員の方々のみご利用いただく非公開施設としておりましたが、西陣の暮らしぶりを一人でも多くの方に知っていただきたいと考え、お茶事や文化教室、展示会などの催しにも、申し込み制にてご利用いただけるようにいたしました。
町家をご活用いただき、町衆文化に触れていただくことが、京の伝統継承の一助になれば幸いに存知ます。
冨田屋の「寶蔵」には漆が塗られているのですが、独特の技法が使われています。(以下、漆修復を担当してくださった株式会社さわの道玄の大井さんのお話より抜粋)
「…扉のデザインにあわせて、部分的にテクスチャーを変え、高級感あふれた塗りが施されていることがわかりました。今回その肌感を表現するのに用いたものはなんと”豆腐”。漆に豆腐や卵白などのたんぱく質を少量混ぜ、叩くように塗ることで上品な質感を出すことができます。この『しぼ塗り』は刀の鞘などにみられる技法です…」
家訓
- 一 神佛を崇敬しその祭りを怠らぬこと
- 一 一家は和合協力して喜憂を共にし如何なる苦難にも打克ち日〃を朗らかに楽しく生きること
- 一 職務によく勉め励みて一家の経済を確立し質素にして冗費を省くこと
- 一 何事にも誠心誠意を以て当ること
- 一 大事に当りては信ずる長老の意見を聴き周到なる注意と深き熟慮の上中道を行うこと
- 一 常に精神の修養につとめ品性を高め積善をなす事を心掛くべし
- 一 他人に対しての保証判事は親類と雖一切せざること
- 一 財産は一方に偏せず家土地及株式現金と三分すること
- 一 常によき友と交りあらゆる誘惑に打克つこと 殊に酒色の耽溺は最も恐ろしきものと心掛くべし
- 以上
上の條項をよく遵守すること
昭和二十七年四月二十九日
米寿の祝日に是を子孫に伝う
中興初代
田中籐兵衛