法華宗真門流(しんもんりゅう)の総本山 慧光無量山(えこうむりょうざん)本隆寺の本尊は十界曼荼羅(じゅっかいまんだら)で、俗に不焼寺(やけずのてら)とも言います。
長享2年(1488)に日真が六角西洞院に草庵を建てたことが起こりで、天文の法乱によって堂宇を失ったり、承応の大火で消失したりしましたが、第十世日遵によって明暦3年(1657)再建されました。
その後、享保15年・天明8年の二度にわたる洛中の大火にも奇跡的に難を逃れ現在に至っているのは、祀られている「火伏せの鬼子母神」の加護といわれています。
この伝説は今日でも語り継がれており、鬼子母尊神は現在も人々の信仰を集めていて、本堂南東角に「不焼寺止跡」の石碑があります。
大火を免れた本堂は十七間四方の壮大なもので、十六本山の中でも最も古く、三百年以上の歴史を今日に伝えています。
祖師堂前に伝説の「夜泣き止めの松」があり、この木の皮や葉を枕の下に敷くと夜鳴きがやむと伝えられています。
16世紀、日諦上人が婦人より幼児の養育を頼まれ、その子を寺で預かりますが、毎夜夜泣きがひどく上人を困らせたそうです。
そこで上人は夜泣きのたびに、本堂横の松の木の周囲をお経を唱えて回ると、不思議と泣き止んだとか。その子は後に、立派なお坊さんになったそうです。
他に、本堂正面階段東側傍らに、無外如大尼(むげにょだいに)が悟りを開いたという千代野井戸(ちよのいど)があります。
無外如大尼(千代野姫)が満月の夜、この井戸で水を汲んでいた時、桶の底が抜けて月影が水とともに消えたので、仏道に入ったと謂れを伝えています。
比叡山に伝来した奈良時代書写の貴重な完本「法花玄論10巻」、平安時代後期の装飾経「法華経10巻<天正11年(1583)の寄進>」はいずれも重要文化財です。
本堂・祖師堂は昭和61年に京都府文化財に指定されています。
黒川道祐(どうりゅう)・寿閑(じゅかん)、千家十職黒田正玄(しょうげん)歴代の墓もあります。
住所
京都市上京区智恵光院通五辻上ル 紋屋町
電話番号
075-441-5762