晴明神社
2021年9月20日
冨田屋から歩いて3分
母と前宮司は、同い年で一緒に小学校に通っていました
代々冨田屋の雇用や建物、結婚子供の名前いろいろ相談をして今に至ります
安倍晴明は、孝元帝(こうげんてい)の皇子・大彦命(おおびこのみこと)の御後胤で、天文暦学の道を深く極められ、式神を思いのままに操る霊術をも身に付けられておりました。
成人されてからは、天文陰陽博士としてご活躍。天体を移り行く星や雲の動きを観察し、宮殿の異変や遠方での吉凶を言い当てられ、朝廷を始め多くの人々の信望を寄せられたと伝えられています。
晴明公は、唐へ渡り、はるか城刑山にて伯道仙人の神伝を受け継がれ、帰国後、これを元に日本独特の陰陽道を確立されました。今日、私たちの日常生活の基準となる年中行事や暦術、占法は皆、この時に創られたものです。
そして、一条帝に仕えておられた寛弘2(1005)年9月 26日、85歳でお亡くなりになりますが、晴明御霊神として祀られた後も、我が国の陰陽道の祖として広く世の中の尊敬を集めます。「晴明公にお祈りすれば、不思議な霊の利益を受けることができ、さまざまな災いから身を守り、病気や怪我が治る……」。そうした評判が、今も多くの人々に語り継がれています。