西陣の町屋が連なる浄福寺通沿いに、赤い門が見えますが、全体に朱が塗られているので近所の人は赤門と呼び、寺の名も赤門寺と呼ばれ庶民に親しまれているお寺です。
1788年(天明8年)京都で歴史上最大の大火、俗に言う天明の大火が起こり火は浄福寺にも迫りましたが、このこの朱塗りの東門の手前で止まりました。
火を止めたのが鞍馬から舞い降りてきた天狗で、天狗は赤門の上で巨大なうちわをあおいで火を消したのだといわれています。
様々な伝説を持つ鞍馬の天狗ですが、ここ浄福寺にもそんな天狗の伝説が残っていて、傍らに火を消したという天狗が祀られています。
また、この赤門は秀吉がつくった聚楽第の一部分ではないかという説もあるそうです。
寺は延暦年間(782~802年)に天台宗の寺として建立され、当時は京都二十五大寺の一つに数えられていました。
室町時代末期の大永5年(1525年)に後柏原天皇から念仏三昧堂の勅号を賜って浄土宗を兼ねるようになり、その後何度か移転を繰り返し、元和元年(1615年)に現在の場所にに定まったそうです。
本堂ほか8棟が京都市指定有形文化財に指定されていて、阿弥陀三尊二十五菩薩来迎図などの重要文化財もあります。
2つの建物からなる本堂は珍しい様式で、江戸中期に8代将軍吉宗によって奥行きが制限され、寺院ではやむをえずこの方法でお堂を建てました。
金箔を施した厨子に安置されているのが後奈良天皇から賜ったという本尊阿弥陀如来坐像で、穏やかな表情は人々の心を和ませます。
方丈には室町時代の作品、阿弥陀如来立像が美しい姿を見せていて、後ろの壁面には空を舞う飛天が描かれています。
浄福寺は「西陣」という京都御苑の西方の、繊維産業で繁栄した街の中にあるお寺です。
1867(慶応3年)3月、京都政界に進出してきた薩摩藩が、西郷を筆頭に700人を引き連れ入京しましたが、既存の二本松屋敷(現京都御苑北側、同志社大学内)だけでは藩士を収容しきれず、ここ浄福寺の本堂や客間を借用して宿泊させていたとのことです。
住所
京都府京都市上京区浄福寺一条上笹屋2-601
電話番号
075-441-0058