2011年6月25日 12:14
京都に学ぶ「始末」
京都人は「けち」とよく言われますが、言葉を変えて「始末」と言えばほめ言葉です。この夏は、京都に学ぶ始末に過す夏となりそうだ。
町家のつくりは、京都の暑い夏向きに作られているそうです。氷を座敷において、夏の花など添えると目に涼しく、空気がひんやりとします。「氷柱」とよんでいます。氷柱を置いていたところだけが、網代の色が黒く変わっています。そのくすんだ色を見るたびに、昔この部屋に親戚が集まって、謡をし仕舞を習っていた隅に置かれた氷柱の様子が目に浮かぶ。「始末」を美徳と考える京都人は、豪華絢爛を好まない。始末がゆえに、いいものを長く使うという習性がある。 塗りの机や器も何度の塗り替えて使う。お茶碗も割れたら金継ぎをして使う。着物も座布団に雑巾にと変えられてつかえるところまで使う。決してものを捨てない。坪庭の木々を見ても、日よけになるもの、目を楽します季節の花、つくばいの水、雨に打たれると紫に色を変える紫石。そっと石のトンボがしつらえてある。魔除けか水辺に寄るトンバは火事除けが・・・
「始末」それはものを大切にという温かい言葉なんでしょう。 ものが無い時代に心からありがたく大切に使ったころの精神を思い出しながら、昔の細かい心配りが感じられる。 今、この夏、つくづく思う・・・
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