2011年6月
2011年6月28日 17:51
絆の夏
大震災から3ヶ月を越え、未だ復興のめどが立たない暑い夏、被災者の方を思う日本人の心は冷め遣らず、忘れかけようとしていた日本人の精神「絆」がしっかりと心に刻まれた。きずなとは、元は、馬などを木に結ぶ綱のことで「木綱」と書かれていた。「絆」という字も「情に絆される(ほだされる)」などと言うように、情に引かれる,つながれるというような目に見えない綱という感じでしょうか・・・
織物も縦糸と横糸が無ければ織れません。心と心を紡いでいるのでしょうか。
助け合う人がいなければ、人は生きていけないのですね。 家族や友達を思う気持ちを本当に思い出させてくれ、今、支援が増え、暖かい気持ちで被災者の方々を一刻も早く笑える時に願いがつのる。 日本人の気持ちは1つになっています。 夜には空を仰いで、多くの星に、人として生きる願いを皆で祈りましょう。
頑張って・・・一人じゃない
2011年6月25日 12:14
京都に学ぶ「始末」
京都人は「けち」とよく言われますが、言葉を変えて「始末」と言えばほめ言葉です。この夏は、京都に学ぶ始末に過す夏となりそうだ。
町家のつくりは、京都の暑い夏向きに作られているそうです。氷を座敷において、夏の花など添えると目に涼しく、空気がひんやりとします。「氷柱」とよんでいます。氷柱を置いていたところだけが、網代の色が黒く変わっています。そのくすんだ色を見るたびに、昔この部屋に親戚が集まって、謡をし仕舞を習っていた隅に置かれた氷柱の様子が目に浮かぶ。「始末」を美徳と考える京都人は、豪華絢爛を好まない。始末がゆえに、いいものを長く使うという習性がある。 塗りの机や器も何度の塗り替えて使う。お茶碗も割れたら金継ぎをして使う。着物も座布団に雑巾にと変えられてつかえるところまで使う。決してものを捨てない。坪庭の木々を見ても、日よけになるもの、目を楽します季節の花、つくばいの水、雨に打たれると紫に色を変える紫石。そっと石のトンボがしつらえてある。魔除けか水辺に寄るトンバは火事除けが・・・
「始末」それはものを大切にという温かい言葉なんでしょう。 ものが無い時代に心からありがたく大切に使ったころの精神を思い出しながら、昔の細かい心配りが感じられる。 今、この夏、つくづく思う・・・
2011年6月21日 17:33
節電の夏
未だに信じられない大地震の残した傷跡は覚めやらず、今年の夏はエコを考える夏。
世の中が、町家の中の生活に戻っていくのかな? 先人の知恵がいっぱい詰まった町家暮らし。そこには、電気やガスが無かった時代が見える。6月1日は、汗だくで蔵から出してくる夏のしつらえ。「建具替え」を行うのだ。雪見障子は、はずされ、よしず障子(葦で編んだ透けた障子)。畳の上には、ひんやりとしたあじろを引きつめる。襖をはずして庭が見える簾を掛けていく。クーラーの効いた部屋ではないが、人とは不思議なもので、涼しそうな様子は、頭で涼しく感じさせてくれる。
「五感でものを感じる」ということです。そよそよと町家をとおりぬける風がもたらす涼。その風が風鈴を鳴らし、青葉の触れ合う木々の音を奏でる。 門(かど)の打ち水が風を誘い、庭から庭に、途中にはつくばいの水が又、風を呼ぶ。 足早にうなぎの寝床を駆け抜ける風にいろいろな役目がある。 つくばいにに落ちる水の音や草木の匂い、簾から透けて見える庭やあじろのひんやりとした感触、皮膚をなでる風も五感の1種ですね。
格子戸は、外から見たら見えないが、内からはしっかり外を観察できるし、空けると又涼める。
夜は、まぶしい明かりは似合わない。昔のように質素にエコを楽しんで暮せます。 灯篭にろうそくを・・・薄明かりの室内からろうそくのゆれる炎を見つめながら、静けさに涼を感じる。 開けっ放して、萱(かや)をつって風流を感じて眠りに付いたらどんなにいいだろう。