2011年1月
2011年1月27日 13:39
奇跡の言葉
困難は、いつ何時にも訪れ、人を悩ませ苦しませ心を暗い部屋に追いやる。
でも、いつか明るいい光が窓から部屋に差し込むように花の香りが暗い部屋を包むように救われる。その多くは、人の言葉である。
その時その時、人を救う言葉にはオーラがある。力がある。愛おしむ優しさがある。
私は、神様に「ありがとう」から始まる1日。いやなことはいっぱい・・・他人からの一言に傷つき一言に涙し、何故、どうしてその言葉が私に・・・相手はそんな意味に伝えたわけではないかもしれないその一言が、心の張りをポキッと折る。そんなときこそ「ありがとう」 大きな声で「ありがとう」 笑顔で「ありがとう」
人から試練を頂いて、1日1日強くたくましく成長していく、そんな自分を外から見よう。
自分に魔法をかけますか・・・幸せの花は咲いていますか・・・他人のせいにしていませんか・・・感謝と報恩を知っていますか・・・
縁起をかつぐのも、ラッキーカラーを探すのもいいでしょう。
いいことだと思うことをして心が晴れると自分をコントロールできるでしょう。
「ありがとう」と声に出しながら、自分を魔法にかけましょう・・・ね
2011年1月25日 15:48
願力 (心に強く願う)
強く願うことがありますか?
願いは1日に叶わず・・・どんなに頑張ってもうまくいかない時は必ずある。
思うとおりにならない時、心がめげそうで壊れそうになる。「えいーやめた」と夢を捨ててしまう。
あの時、続けていたら今頃は・・・なんて事は何度もあったような気がする。
挑戦を止めた時失敗となり。努力も泡の様に消えていく。ただの夢で終わってしまう。
世阿弥の書いた「風姿花伝」に、能の練習が書かれている。 17歳18歳のころ、声変わりをして思春期で反抗期で、体が変わる成長期、今までどうりやっていてもうまくいかずやる気を失う。 フィギュアースケートや少しのことで変わるスポーツもそうかもしれない。
〜心中に願力を起こして、一期の堺ここなりと、生涯かけて、能を捨てぬより外は、稽古あるべからず。ここに捨てつれば、そのまま能は止まるべし〜世阿弥
情熱と我慢は、夢を叶える必要事項。
庭の花をふっと覗くと椿が美しく私に語るようで・・・「想紅(おもいくれない)」 花が見苦しくいつまでも枯れた姿を見せないで首からポロンと落ちてしまう椿に、物思いながら、願う力を振り絞る。 最近疲れぎみの私にいつまで「和の心」を伝えていく力を神はくださるのでしょう。 人を育てることを諦めないで、人の体調もかんがみながら、少しずつでも止めないで・・・相手が悪いんじゃなくて、私の力不足でしょう。
願いましょう・・・願いましょう・・・人が心が大きくなってくれることを・・・
2011年1月22日 16:52
母の言葉
今、小さくなって横たわる母を見て、子供のころよく言われた言葉を思い出す。「ばち当たりさっせ」「神さん見てはる」「嘘ついたらあかん」「自分のことは自分で責任を持つ」「迷惑かけんときや」「賢く聡明であれ」・・・最後に「良く食べて健康で」・・・
口うるさく言われたことが嘘のように、今はほとんど話さない。私の言葉に目を開けて、うなずく口元に何があるのでしょう。きっと「ちゃんと生きや」と眼に映る言葉のようです。
パーキンソンという病気は、足が前に出なくなる。あんなに元気で車を乗り回し、てきぱきお料理を作って、完ぺき主義の母は、今、仏のように見える。何も語らず、うなずき、眼を見つめ、顔に手を持ってくる。時々返す言葉が、「長生きしてや」・・・握った手は冷たく小さく力が無い。冷たい手は、毎日さすることで血の気を取り戻す。母の寝顔は私の歩み。沢山の思い出を有難う。
母がいて私がある。生きててくれて有難う。
2011年1月21日 15:00
冬萌(ふゆもえ)
「枯れ木のようになった幹や枝から、良く見ると新芽が出てくるので切ってしまわないでよ・・・」庭の隅の小さな木の処分に困った社員に伝えた。これから、ささやかに芽生えるかもしれない草や木を観察しなければいけない。 「冬萌」私はこの言葉が好きです。芽を萌え出す姿です。、これから寒い時期、雪や霜に耐えて、「まだ息絶えてないよ」と叫ぶように芽を出してくる力強さは、あっぱれです。春になると、突然花が咲くわけではありません。落葉の後、少しずつ少しずつ準備に入ります。寒い冬に耐えながら・・・動物ならば「冬眠」ですか・・
春を装ってくれる花達は、土の中で耐えて気を養っているのでしょうか。立春も近づきますが、まだまだ、これから寒さを感じるころ。
私達の心の中にも、「冬萌」を感じることがありますね。心が寒い時は、じっと耐えながら、きっと花咲く時を待って、着々と努力をしよう。 美しい大輪を咲かせるために・・・
成功は突然やってこない。ひそやかに、我慢、忍耐・・・夢を忘れず、きっと春になれば、美しいと人の心を和ませる華となる。
2011年1月10日 15:43
破顔微笑
「破顔微笑」とは,顔をほころばせて笑うこと。
顔は口ほどに物を言う。というが、笑顔の素晴らしい人は世の中のこと人のことをすべて知っていて、暖かく包み込み、その場を和らげ明るくふんわりとした真綿のように綿帽子のようにいつでも破壊されようとした空気を覆いこむ。他人と自分の間には、境界があるものですが、笑顔と共に無くなって、そこにほんわりとしたほっこりとした火をともす。今年は「楽に生きる」目標の中に、「はいはい」「そうそう」と、自分で物を考えすぎず流されて逆らわず、満面の笑みと共に、人に幸せを与えられるような人になりたい。
宮沢賢治「雨にも負けず、風にも負けず、いつも静かに笑ってる、そういうものに私はなりたい」そんな気分で過したい。不平不満は、誰にでもあるでしょうが、今年は、考えない年にしたい。大切な今を生きる。したいことに没頭する時間を持てるように努力をして、いつも皆が和み優しくなれるよう、破顔微笑を心がけ、温かい心をいつも感じて「心の中の仏」を素直に表現できる自分でいたい。欲も得も無く、我を張ることも無く、そよそよと優しいかぜが草むらをなでているような自然な気分にひたっていたい。