2010年8月
2010年8月27日 13:06
和顔愛語
人の心の中には、いろいろな引き出しがある。優しい引き出し、辛らつな引き出し、意地悪な引き出し・・・
色々な時、色々な人に、出している引き出しは違うもの。相手のことを好きだ尊敬してると思うと、相手も好きだと思ってくれます。無視や軽蔑や侮れば相手の心もおのずとそうなり、悪い関係になるのでしょうね。相手に接する時の顔で心が読めます。「和顔」(穏やかで優しい顔)は大切なことです。常ににこにこ笑顔で接することの大切さ。言葉も「愛語」を自然に発しているのです。でも人はなんだか恥ずかしくて、中々すれ違いざまに声をかけることを躊躇してしまうことがあります。お年寄りに席を譲る時、手を差し伸べようとする時、なんだか照れくさくなってします。思いやりも勇気を出さないと心で思っているだけでは相手に伝わりません。私もご近所を歩く時、ついつい急いでいて、知ってる人に声をかけている暇がありません。ここで声をかけたら長びきそう〜なんて先に考えてしまうことが・・・声をかけると言う好意は絶対に損しない。一損なくて百得ありです。是非、周りの人に声をかける日々を楽しんでください。笑顔は、慈悲の心を映し出すものです。
2010年8月22日 09:40
すずむし
夏の終わりから秋にかけて、“リィーン、リィーン”と鈴のような心地よい鳴き声を聞かせてくれる鈴虫。
鈴虫の鳴き声が、月から降りてきた美しい鈴の音のようであることから「月鈴子」とも呼ばれている。
「枕草子」にも書かれているように、江戸時代からすでに飼育されて売られていたようですね。
高音の泣き声は、闇の中で響き、暗闇の救世主のようです。こんな夜は、穏やかな優しい気持ちにさせてくれます。虫かごの中で孵化し短い間、秋風を誘うような、夏の風鈴の終わりを告げるように心地よく良く響く。
昨年の虫かごの中から、土の中で命をいただき蓄えて今年も鳴いてくれると信じています。
願い事を一つだけ叶えるという「幸福地蔵」のある華厳寺別名「鈴虫寺」では、1年中鈴虫が鳴いている。
美しい響きに包まれたお寺は、入ったとたん幸せな気分になるような・・・
生き方を考える。虫のように短かい人生、でもその間人の心を幸せにしてくれる。無心で精一杯鳴きつづける。
その時の自分の役目をわかっているようで・・・
私たち日本人の心の中にはいつの時代も情緒あふれる鈴虫の鳴き声が鳴り響いているのではないでしょうか
2010年8月21日 12:53
君が代に思う
「君が代は千代に八千代にさざれ石の巌(いわお)となりて苔のむすまで〜〜〜」
君が代は、千年も八千年も、細石が大きな岩になってそれにさらに苔が生えるほどまで、長く長くずっと続きますように。君が代の君が、天皇なのかどうかは私にはわかりませんが、 〜細石(さざれいし)の巌となりて苔の生すまで〜の歌詞が美しいと思う。小さな石ころが集まって、やがて大きな岩になり、苔が生え、どっしりと時間を経て、ゆるぎないものとなる。自然が、生き方に見えてくる。果てしない人生の教訓。私達は、一人ひとりちっぽけな存在です。でも沢山集まると、大きな力となり、世を動かせる世論となる。小さい夢や願いも皆が思うと大きな希望や願いとなり広がってどっしりと日本国を支えるのでしょう。平和の世を祈りましょうね。私の願いは「細石(さざれいし)」です。でも、伝えていくことが大切で、しっかりと見失わないように・・・いつかは、大きくなり、歴史の一つ一つが苔を生して、美しい風景を飾ることとなるんでしょう。・・・・私は、ずうっと、平和を願う〜さざれいし〜
2010年8月20日 14:58
茶事
茶事(ちゃじ)とは、茶の湯で、懐石を伴った客のもてなしのこと。茶会の食事「懐石」は、亭主が一皿づつ給仕をします。「懐石」の名前の由来は、禅寺で修行僧が温かい石を懐(ふところ)に入れて空腹をまぎらわせた、その程度の軽い食事と言う意味から来ています。言葉の意味から、元々豪華な高級料理ではありません。折敷(飯椀・汁椀・向付・利休箸)、煮物椀、焼き物、預鉢・炊き合わせ、強肴(しいさかな)、箸洗・小吸い物、八寸、湯桶・香の物、縁高(ふちだか、生菓子)・黒文字、濃茶・・・と続く。ほんの少しずつ亭主が吟味して、器なども考えておもてなしをします。そんな心のおもてなしの席にふさわしいお料理です。冨田屋では、明治時代から茶会はよくしていたようで、今は、お昼なので懐石までは行かないですが、蔵の中から出してきた輪島塗や春慶塗などの「点心」といわれるお弁当箱に入ったさまざまなお料理をお出ししています。おばあさんは、豪華な鯛や海老でなく、旬のお野菜のいいとこだけを生の味を生かしてお出しすることが本当のおもてなしであると言っていました。今もなお、その精神を変えず、心を受け継いで愛情だけは何処にも負けない手作りのお料理を一生懸命作っています。おばあさん!頑張ってるでしょ。いつまでも、見ていてね。
2010年8月19日 16:19
子供の心
打算なく純粋に透き通った自然な心が「子供の心」一心に夢中になれる邪念のない心。
教育の間違いは、今の子供達を「お金や物」だけを目標にしているように思いませんか?
お受験の影響か、大人の価値観に惑わされているのか。人間を救うのは、人間の心の探求、いわゆる、人間の存在とはどういうものか考える力。そして周囲をどう認識するのか。つまり、人間の「存在」と「認識」を考える。お釈迦様の教えは「人間の存在は、有限であり無限ではない」と・・・存在が有限で人間の認識する世界には限界があると言うことでしょう。大人の価値観で物を見、子供の心を染めてしまった日本の教育は、どのように変えたらいいのでしょうか?小さなモラルから当たり前のことからはじめなくてはいけないでしょう。命を考える教育が必要だと思う。誰もが祝福されて生まれてきて、生きることを楽しむ権利がある。今、心のあり方を考える大切な時かもしれませんね。毎日、ニュースでネグレクト(虐待)や親を殺すような事実が私の心を痛ませています。辛いですね。