2010年6月
2010年6月28日 17:04
鏡は心
歳を重ねると、顔に心が現われます。しわの一本一本が、人生の証。愉しく前向きに過してきましたか?それとも、辛いことが多くて「羨み顔」になっていませんか?人は人、自分は自分、どんな立場におかれようが、その時、そのロケーションを勇気を持って乗り越えるそんな努力が必要です。顔は見えてるから面、心は見えないから「うら」ですが、「うら悲し」「うら寂し」「恨む」「羨む」すべて心の病気です。見えないはずの心は、面の顔に少しずつ見えてくる。注意して、明るく、ドンマイ、アグレッシブに前を向いて、サッカーワールドカップから、勇気をもらいます。一生懸命、心がひとつ日本の勝利を信じて頑張ります。わたしも、大きな声で力いっぱい応援しています。ブーーーーーーーーーブルゼラでいやなことも忘れますね!
2010年6月20日 13:36
今日は「涙雲」
今日は、今にも雨が降りそうなグレーのもやもやがどんよりした霞のかかった空を半分包んでいる。 今にもなきそうなうるうるした眼のような空を見上げていると、ザーと雨が一気に降り出した。雨宿りをしていると、あふれた涙が泣きじゃくりに変わり、泣き止む子供の目のような気がした。雨が上り、又静かな涙雲の空に戻った。梅雨の時期は、じめじめシャツが汗ばむのに寒かったり、母も少し風邪気味のようです。風邪は万病の元。その時期は、疲れないように、気分が落ち込まないように、長靴でも履いてピチピチチャプチャプ歩こうかな。「涙雲」の下を・・・
2010年6月13日 11:32
偲び草
偲び草とは・・・
人を思い出すためのよすがとなる事柄のことかな・・・
弘法大師の名代として1年間、山内の重要な法要儀式の導師を務める高野山真言宗の第505世寺務検校執行法印(じむけんぎょうしぎょうほういん)に就任した鷲峰本賢大僧正「増福院住職」が披露する「法印転衣式(てんねしき)」が3月12日、和歌山県高野町の総本山金剛峯寺で行われたのは、何年前だったろうか? 式は午前11時すぎ、緋色(ひいろ)の衣を着た鷲峰新法印が正面壇上に着座。 式後、法印は朱色のかごに乗り、小雪の舞う中、大勢の信者が待つ増福院に帰られた。お居間でくつろぐ暇もなく、ご挨拶にこられた方に出向く姿は脳裏に焼きついている。この細い体で立ったり座ったり、そのときの白衣お姿は、いつもあーちゃんと話す。袈裟が重そうに感じたね。責任感であんなに動けたんね。娘(よりちゃんの死)も癒されぬままの大役、心のうちを察する。でも、いつも優しく、親切で、大声を出さない、紳士で穏やか、高野山の法事で、偲び草
今でも尊敬する偉大な人であった。
2010年6月10日 15:52
不断桜
「不断桜」は、摩訶不思議な桜である。一年中咲く桜なのである。1年中枝のどこかに花を本当につけている。文政年間時代にもすでに珍しい名木として書物に紹介されている。 この桜は国の天然記念物。冬でも、いつでも葉が美しく、そしてよく見ると一花、桜が咲いていたりする。
伊勢型紙の模様はこの不断桜の虫食いの葉を見て思いついたらしい。伊勢型紙は室町時代からの伝統工芸用具、極限の技が生み出す、1点1線神業とも言うべき職人技で「不断桜」を染め上げていた。
浮き上がってくる常盤染の「不断桜」を眺めながら、パッと咲いて散るより、この花のように、控えめでいいから、いつもどこかで咲いているようなこつこつと、凛とした女性でありたいものです。そんなことを考えながら、今日も着物に触れていました。
2010年6月 6日 19:37
水無月
6月は、色々な表現のされた月です。ご存知でしょうか?
「水無月」は、田んぼに水をひく月という意味。
農家から来ている言葉です。皆やりつくしたとも考えられる。
蒸し暑い日々に、望をこめて「風待月」とも言いますね。
「夏越月」とは、これから暑い夏を迎えるので元気でいられるように、祈った行事にちなんでいった言葉。
「葵月」とは、青い祭りからとったんでしょうね。
この月だけは、色々な呼び方があるのは、季節の変わり目、衣替え、節目の月なんでしょね。
なんか、昔の人は、表現力が豊で、情緒が感じられますね。
忙しい世の中、気がついたら何ヶ月かたっていたなんてことも・・・月月を季節を楽しんで生きたいものです。
日本に、四季があって本当に良かった、と思えるように・・・