2009年3月
2009年3月31日 17:58
おやじの弁当
アサヒビール名誉顧問中條高徳様にお会いした時 数枚の記事を頂いた。「おやじの弁当」*富と引き換えに失ったもの*その昔、わが国は今の若者達が考えも及ばないほど貧困な国であった。しかし、その頃の家庭にはぬくもりがあり、総じて明るかった。親子の情は濃く、長幼の序は、厳しく、そして礼儀正しかった。から始まるその文章に涙した。戦前のどん底生活から経済大国を築き上げた底力。倫理の道を説いた「子は親の心を実演する名優である」と丸山敏雄さん。そして「るんびにい」の樋口清之教授の随筆。彼の友人の話。ある日、母の作る父の弁当を間違えて持っていってしまった。「おやじの弁当は軽く、僕の弁当は重かった。おやじの弁当はご飯が半分で、自分にはいっぱい入っており、おやじの弁当は味噌がご飯の上にあるだけ、自分にはメザシが入っていたことを、間違えてはじめて知る。子供を思う親の真(愛)情がわかり弁当が胸に詰まって食べられなかった。その感動が両親の期待を裏切るまいと心に誓い勉学に励んだそうです。この「おやじの弁当」の心こそ、仏道で説く「陰徳」の妙法であり、「真独」の実践である。と書かれていました。頂いた中條高徳さんの文に感動をしました。
2009年3月27日 16:03
弘法大師さまのお言葉
心に明暗がある。心の明るい暖かい人には、天からの恵みも豊で、末永く幸せに暮らせる。反対に心の暗い冷たい人は件からの受ける恵みも少なく、幸せも薄い。 「明暗他に日ざれは、信修すれは忽ちに証ず」
目に見えないものに動かされることを感じざるを得ません。自分ひとりの力では何も出来ない。難題は毎日起こるでしょ、正しい心と明るさですべてを対処していかないと。ある意味鈍感力が必要ですよね。すべてのことをああでもないこうでもないと悩んでいたらストレスから病気になりますね。最近精神科が非常にはやっていて待ち時間がすごいらしい。生きることの大変さそして御加護がいただけるように生きたいものです。周りに惑わされず自分を信じて愚直に生きていきます。
2009年3月22日 15:22
魔法の言葉「ありがとう」
「ありがとう」を1日10回言いましょう。自分が変わる周りが変わる。「ありがとう」とラベルに書いたお酒やお水もあります。結晶が代わってくるとも言われ、腐りにくいとも言われています。日々の暮らしに当たり前、当然と思っていることはありませんか?すべて自分以外の人が手を貸して下さったことには、頭を下げ、口から感謝の気持ちを出してください。こんなに気持ちが穏やかになる言葉があるでしょうか!健康でありがとう、一人ぼっちでなくてありがとう、食べられてありがとう、この地に住まわせていただいてありがとう。言葉に出して「ありがとう」。口から出た言葉は、羽がはえて人々の心をさまよいます。 最近の政治家の言葉には魂がない。人の心を突き刺すような弓矢か迷い言葉では気持ちを愕然とさせ進む道が解らない。生かさせていただいていることに感謝 そして 言葉にして「あ・り・が・と・う」
2009年3月21日 16:51
彼岸と此岸
お彼岸入りをしました。彼岸花が待ちわびていたように咲き誇る 春分の日を向かえ 春ですね。
今日は、弘法の日、東寺に参ってこんなことを聞いてきました。
「彼岸」は「悟りの世界」、即ち「仏界」とし、死後の世界を指し、死者のことを「仏」といっています。
彼岸は「あちらの岸」という意味で、此岸は「こちらの岸」という意味ですが、あいだにには何があるかというと「死の川」です。生きている私たちがいるのがこちら側です。死んだらあちら側に行きたいと仏教徒は考えています。彼岸というくらいですから此岸にいる間私たちは死ねば彼岸にいけるのだと思っています。 彼岸を渡る時、花園を見るそうで、皆が「ご苦労様」と待っていてくれるようです。こちらの世界は、恨みつらみ嫉み色々生きるには交錯しますが、あちらの世界には何もなく、清らかな世界のようです。 動物が進化し、人となった時、「死」を見ます。そして、怖くなって「宗教」が生まれたと聞いたことがあります。人は皆老いて死を迎えます。彼岸に思うこと。
2009年3月21日 15:47
梅と桜
梅の花は 雪にも耐え寒さにも風邪にも耐え忍び まだ春ともいえない頃に花をさかせ 香りを漂わせて 人びとを和ませる。負けない心を感じざるを得ません。梅の花にように いやなこと 辛いと 嫉妬
人生に耐え忍んでまっすぐな心の中に清く正しい花を咲かせてくださいといわれているようです。花のあとは実になって 塩に漬かって 長寿を祈って梅干になっていきます。なんと年老いた時、人の役に立つよう生きよと説いているように・・・梅の花が終わると 桜の花は、日本人の心をときめかせ、お酒を飲ませ、踊らせ、歌わせ、騒がせる、こんな花があるでしょうか?ひまわりが咲いても、菜の花が咲いても、スイセンが満開でも、こんなことはないでしょう。
きっと、「花咲じいさん」という神さんの仕業ですよね。明治生まれのおばあさんが、「花見に行く時は、新しいものを着ていきなさいって・・・」と言っていました。昔は小袖を新調していったそうです。そう思うと納得のいく話ですよね。梅から桜、人生を物語るようです。苦労して、耐えて、一生懸命に、人のために生きる、そして、桜のごとく、人生短い、人をひと時でも狂わせ、楽しませる。散っていく時も、美しく、人に感動と幸福の花びら散らせる。 花を見て思うこと。