2008年2月
2008年2月29日 09:07
一生の友
昨日 母は 楽しそうに友達からの電話を取って 話していた
私が子供のころから 何かにつけ 行き来はあり 夜の時間が空くと電話をしていた親友だ
普段口数もなく 私と話すぐらいだが 昨日は 笑う 話す ウチのわんこの悪口まで飛び出して
横で聞いていて 思わず噴出した
友達はいいものだ 人生の荒波を超えてきた仲間 子供のこと主人のこと健康のこと
いろいろあったこと 横でみてきました 今 動けなくなった母を友達が勇気つけてくれます
嬉しかったでしょう 有難う
2008年2月21日 14:13
暖かい2月の弘法市
弘法大師のお言葉 (略)
人間は生きている限り必ず悩みがある
悩みをどうやって克服するか 信じるに足る宗教を持つこと
それは 人生のバックボーンであり 羅針盤となる
何が起ころうと 動揺することはなく 毅然と立ち向かっていける
仏法は精神の支柱なり 東寺 平成20年2月8日
暖かい弘法市 コートが要らないぐらいのお天気
心が洗われる
素敵な1日でした
2008年2月17日 16:00
冨田屋の母の守る力
冨田屋の母は もうなくなって ずいぶんになるなー
なくなる3日前まで 神さんに手を合わせ 拝んでいた
何を拝んでいたのだろう
病院で手術 家に帰りたいというので 連れてかえり 又 入院
しかし 最後は 妹も着てくれて 家で見取った
「おかあさん 仕事忙しくって あんまり面倒見れなくて ごめんね」
「いいや 峰子さんは 家を守ってくれてはるから」
この言葉が 今でも思い出される
母にとっては 一生かけて 家を守ることが 天命だったんでしょう
一人娘でこの家に生まれ おじいさんいおばあさんから 神さん守って 行事を続けてといわれ
何の贅沢もせず ひたすら 家で 毎日の神ごとしつらえ祈る
いやなことは 何も言わず 継続それが命でした
でも 今 私がこうして文化を語り教えられるのも本当に母のおかげ
今の仕事の源を守ってくれた
えらい人でした 小さい頃は 学校に行くのに 隠れて女中さんが付いて言ったって おばあちゃんが言って張った お昼はお弁当を持ってきてくれる 帰りは又心配で向かえ人
一人っ子で 使命を受けて生まれたんでしょう
でも「私は若い時幸せやったから 今はあんまりや」といっていました
若い時の苦労は 買ってでもしとかんと。。。
人生 皆 平等なんです
2008年2月15日 22:53
なごみ 涙もろく
友達と 母の話をすると 目がうるうる
涙腺がゆるくて恥ずかしい
しかし ここ1週間で変わっていく母を見た
目が輝いて 沢山話をしてくれる
何でもわかっている
今まで 答えてくれなかったのに。。。
愛情ほど大きな力はない
子供にも 年寄りにも 。。。
自分が変われば 相手も変わる
絶対元気に母はなるよ 愛すべて。。。
2008年2月13日 20:52
人間生きる
新年会で 西尾会長の挨拶にあった言葉
気になって もう一度聞いてみた
「晩年の生き方
無理しない
借りたら返す
静かに生きる
人間が生きているということは 借りを作っているということ
人間が生きていく間に 借りを返す
誰かにそうしてもらったら 誰かにそうしてあげる」 永六輔
母にもここまで育ててもらった
生きているうちに いっぱい返さないと
今日も 歌を3曲 歌ってくれました
小さいころ お風呂でよく歌ってくれた歌を・・・・・